全3回に分けてご紹介している「Jクラブによる東南アジア選手との契約における戦略設計」。第1回目となる前回は「ターゲット市場と選手の選定」と題し、Jクラブが東南アジア人選手との契約を検討する際に考慮すべき事項を整理しました。おさらいすると、まずはターゲット市場としての対象国をPEST的なフレームワークに基づき選択し、次に契約対象となる選手をチームと個人の観点から決定するというものでした。
<東南アジア人選手との契約における検討事項(おさらい)>
1. 対象国の選定
【Politics 政治的側面】
- 親日度(政治・外交関係も要考慮)
- 日本との友好条約の節目
- Jリーグにとっての対象国の位置づけ、外国籍扱い など
【Economy 経済的側面】
- 人口、人口成長率
- 人口ピラミッド、生産年齢人口比率
- GDP、GDP成長率 など
【Society 社会的側面】
- クラブと対象国の関係性(姉妹都市など)
- サッカーへの関心度、各国サッカーリーグ/Jクラブ認知度
- サッカーに関心を持つ富豪の有無 など
【Technology 技術的側面】
- インターネットの普及度
- モバイルの普及度
- ユニコーン企業の有無(消費者へのITサービス浸透度の定性情報として)
- JリーグYouTube 国別視聴者数 など
2. 対象選手の決定
【Team】
- 代表チームのFIFAランキング
- 代表チームのW杯/各大陸大会での戦績
- 代表チーム/所属チームのマーケットバリュー など
【Individual】
- テクニック、タクティクス、フィジカル、メンタルの定性評価
- 日本への適応可能性(パーソナリティ、語学、海外経験)
- 選手のポジションについてチームにおける競争状況
- 選手の知名度、SNSフォロワー数 など
第2回目となる今回は、上記フレームワークの活用方法として、東京ヴェルディ強化部がインドネシア代表プラタマ・アルハンと契約をする際に、どのような意思決定をしたのか、実例の一端をご紹介いたします。

1. 対象国の選定
前提として、アルハンとの契約に際して、初期仮説におけるターゲット市場はインドネシア一択でした。Jリーグにおける選手の活躍実績や代表チームのレベルを考慮すると、他Jクラブであったらタイやベトナムの方が優先されたのかもしれません。一方で、事前調査において、タイやベトナムは東南アジアではトップクラスの国であるからこそ、同時に、選手契約にかかるコストが高額であることが判明しました。例えばタイの場合、代表選手であれば年俸で数千万円、加えて、タイクラブは選手と長期契約を結ぶ傾向にあるため、年俸同程度かそれ以上の移籍金がかかることもあるとの情報も仕入れ、とてもリスクを冒してチャレンジできる条件ではありませんでした。それならば、日本サッカー界の歴史を開拓してきた東京ヴェルディの一員として、他クラブがまだ挑戦し切れていないことにチャレンジしたい。そのような背景から、サッカーのレベルは発展途上でも、サッカーも経済も成長のポテンシャルが東南アジアでは圧倒的な国として、インドネシアをターゲット市場に定めました。
インドネシアについては、前職のコンサル時代にも、あるプロジェクトでマーケットリサーチをした経験があり、潜在性が極めて大きいことは感覚として掴んでいました。仮説を補強するために、アルハンとの契約に際しては以下のような情報を改めて取得・整理しました。
【Politics 政治的側面】
- 2023年が「日本インドネシア国交樹立65周年」及び「日本ASEAN友好協力50周年」の節目となる記念の年であり、行政や大使館を交えた様々なコラボレーションを模索できる可能性がある
- 歴史的な経緯もあり(※諸説あり)、インドネシアが親日国寄りであることが関係者へのヒアリングやインターネットリサーチで確認できた
- Jリーグにとっては提携国のひとつであり、インドネシア人選手が外国籍選手枠にカウントされない
【Economy 経済的側面】
- 人口は約2.7億人で東南アジアではトップ、世界でも第4位(2020年時点)。東南アジアでは第2位のフィリピン(約1億人)、第3位のベトナム(約9,700万人)、第4位のタイ(約7,000万人)と比較しても、3-4倍近い人口規模である
- 人口構成はおよそ半数が30歳以下の若年層。生産年齢人口比率が下降トレンドに突入するのは2030年と予測されており、労働力の充実による消費拡大と経済成長を促す「人口ボーナス」が約10年間は継続する見込みがある
- 名目GDPは約1兆ドルで東南アジアではトップ(2020年時点)であり、第2位のタイ(約5,000億ドル)と比較すると約2倍。全世界GDPランキングでは2020年の第16位から2040年には4位まで急成長することが見込まれている潜在市場である
【Society 社会的側面】
- 東京が姉妹都市関係を結ぶ世界12の都市のうち、東南アジア諸国はジャカルタ特別市が唯一。行政を交えた発展を模索できる可能性がある
- サッカーは、バトミントン、水泳に次ぐ国民の関心度トップ3の競技であり、特に20-30代の若年層においては9割近い人口が関心を持っている
- Jリーグの認知度がタイと比較すると割合で半分ほど低く、反対に言えば、成長への伸びしろ・余白が大きい
- バクリーグループやサリムグループなど、サッカークラブのオーナー経験やスポーツ業界への投資経験がある富豪も数名存在しており、サッカー業界に投資が流入する土壌があることが一定見込まれる
【Technology 技術的側面】
- 特に30代以下の若年層において、PCの利用率を上回る数値でモバイルが普及しており、Eコマースの利用やスマホでの動画視聴、インスタグラムを中心とするSNSの利用などが急増している。海外サッカーをストリーミングで視聴できるモバイル・インターネット環境は整いつつある
- モバイルの普及に伴い、Gojek(ゴジェック)やTokopedia(トコペディア)、Traveloka(トラベロカ)、OVO(オボ)など複数のユニコーン企業も誕生している。モバイル・インターネットサービスが社会に浸透していることが一定見込まれる。(※GojekとTokopediaは2021年5月に経営統合し、新会社「GoTo」を設立)
- Jリーグ公式の国際YouTubeチャンネルの視聴地域が、全世界でタイに次いで第2位を占め、ファンベースや放映権獲得のための潜在性がある
2. 対象選手の決定
上記の通り、インドネシア市場をターゲットに同国出身選手との契約を模索しつつも、一方で、タイやベトナムと比べるとサッカーのレベルが落ちることは高い確度で推測されました。しかし、そこはある程度許容した上で、契約にかかるコストと選手のパフォーマンスとしてのリターンのバランスについては、入念に調査を行いました。前述の通り、タイやベトナム人選手との契約には年間数千万円以上を要する一方で、インドネシア人選手は数百万円代で費用を抑えられるという観点から、一定のリスクを冒すのであれば、コストとリターンのバランスとしてはここが許容可能な限界ラインでした。(ちなみに、選手契約費用については、外部パートナーからのご支援を多分に頂戴しています)
そのような背景の中で、実力としては少なくともJ2リーグであれば練習に混ざっても違和感なくプレーできるであろうレベルの選手を必須条件に、強化部全体で候補選手の能力を定性及び定量評価していきました。ちなみに、候補選手については、Jリーグの国際事業担当にも相談した上で、フル代表の中からリーチできる選手をリストアップしていただきました。アルハンの他にはフォワードの選手が2名リストに含まれており、いずれも20歳前後の若いインドネシア代表選手でした。
私の方では、下記の観点からコストとリターンのバランスを精査。同時に、サッカーのパフォーマンス面で選手契約の最終判断をする強化部長には、主にプレー映像による定性評価をしていただきました。いくつかの映像を見る中で、最終的には、東南アジアでNo.1の代表チームを決める大会である「AFF Suzuki Cup(現 AFF Mitsubishi Cup)2020」(2021年12月~2022年1月にかけて開催)で目覚ましい活躍をしたことが、選手との契約を決断する決定的な要因となりました。この大会で、アルハンはレギュラーとしてインドネシア代表を史上最高となる準優勝に導き、ファン投票によるインドネシア代表のMVPと、大手メディアが選ぶ大会最優秀若手選手に選出され、大会後には韓国やヨーロッパの複数クラブから関心を集める存在に成長しました。
【Team】
- FIFAランキングは第174位(2021年8月時点。日本は当時24位)と下位であり、東南アジアでも7番目の数字。代表チーム全体としては発展途上であるが、選手個々に目を向けると、東欧リーグや韓国2部リーグでプレーする選手もおり、海外でプレーし得る選手は数名存在する
- Transfermarktという世界最大のサッカー移籍情報サイトにおける各国リーグ全体のTotal Market Value(「TMV」:推定市場価値)について、インドネシア1部リーグの60Mドルはタイ1部リーグの65Mドルと同等(2021年8月時点)。J3リーグの45Mドルを上回り(参考:J2リーグは170Mドル、J1リーグは323Mドル)、世界的に見てもJ2とJ3の中間のようなレベルのイメージ
- 各国代表チーム全体のTMVでは、インドネシア代表が総額202Kドル、タイ代表が総額308Kドルと、約100Kドルほど低コストである
【Individual】
- 代表チームにおけるフィジカルデータも共有してもらい、怪我やコンディション不良は見られなかった
- 契約交渉前にオンライン面談を実施し、選手の野心や海外生活への順応性も確認した
- 当時の東京ヴェルディのチーム編成において、攻撃面で特徴のある左サイドバックは補強候補ポジションであった。一方で、リストアップされた他2選手は攻撃的なポジションであり、チームには多くの競合選手がいて埋もれてしまう可能性が高かった
- サッカー以外の観点では、公式Instagramのフォロワーが約300万人おり、インドネシアを代表するスター選手であった
このように、東南アジア人選手との契約に際しては入念な調査をしつつも、その選手が日本で実際に試合に出続けられるかどうかは、チームに合流してみなくては分かりません。そして、言語や環境が全く異なる日本で活躍することの難しさは、これまでJリーグにやってきた東南アジア人選手が身をもって示しています。前回記事の通り、アルハンも結果としては十分な出場機会を得られず、当初見込んでいた通り順調にメリットを獲得できたかといえば、現状においてはそうではないのが率直な感想です。
次回記事では、ここまでご紹介したような紆余曲折を経験した中で考えた、東南アジア事業全体の戦略設計や事業ピボットの考え方について記したいと思います。